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2012年 01月 29日

まもなく発売:2012年1月第5週~2月第1週の新刊2点

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陰謀のスペクタクル――〈覚醒〉をめぐる映画論的考察
吉本光宏(1961-)著 
以文社 2012年2月 本体2,500円 46判上製288頁 ISBN978-4-7531-0298-3 
帯文より:なぜ陰謀論は消えないのか? 陰謀論の限界と可能性を原理的=映画論的に考察し、「シニシズムの物語」の戦略を徹底的に読み砕く。映画・アメリカ・民主主義・市場への根源的分析から「闘争の時代」の幕開けを告げる、新たなる時代の批評の誕生。
本文より:どれだけ批判され、それだけ冷淡にあしらわれても陰謀論が消滅しないのは、陰謀論に内在するユートピア的契機のためである。〔…〕陰謀があるから覚醒しなければならないのではない。覚醒への欲求が高まり集団的に共有されることで、陰謀の幻影が立ち現われるのだ。(118頁)

目次:
序にかえて
1 陰謀とイメージ
  陰謀論とはなにか
  イメージの陰謀
  冷戦と陰謀
  二元論の崩壊
  陰謀と市場
  市場の不可視性
  冷戦から新自由主義へ――陰謀論映画は何を隠蔽するのか
  陰謀論と覚醒
2 陰謀装置としての映画
  催眠術と覚醒体験
  映画と覚醒――アメリカン・ドリームの終焉
  陰謀と不気味なもの
  陰謀の空間
  監視空間と主体
  反復と覚醒
  覚醒という事件と映画の両義性
3 陰謀・メディア・民主主義
  自由・民主主義の矛盾
  フランク・キャプラと陰謀論映画
  議会制民主主義の限界
  金融危機とアメリカの狂気
  暗い時代
  仮面の告白
  「冷笑」でもなく「熱狂」でもなく
おわりに 「われわれ」はどこへ向かうのか
あとがき

★1月30日(月)取次搬入であろう新刊です。『イメージの帝国/映画の終り』(以文社、2007年)に続く単独著第二弾。著者は現在、早稲田大学国際学術院教授。担当編集Mさんによるご紹介文によれば、本書は「認識装置としての映画と陰謀論的な言説の“類似性”をシャープに分析し、陰謀論の磁場のなかにあるいくつかの映画作品の「核」にあたる要素を“哲学的”に探究した」もの。「新旧映画作品の分析を通して、現代の“民主主義体制(批判)の困難さ”を浮き彫りにするべく」執筆された、「きわめて現在的な政治哲学批評」ともなっているとのことです。「序にかえて」にはこうあります、「本書は大きく分けて、次の三つの問題と取り組むことを目的に書かれている。一つ目として、陰謀論とはなにかという問題。次に映画というメディアと陰謀論のあいだに存在する親和性を、どのように理解することができるのかという問い。そして最後に、映画が陰謀論の主題系をどう扱い、その結果なにを生みだしてきたのかという問いである」(16頁)。陰謀論を議論する上で参照されているテクストは、アメリカの政治学者リチャード・ホフスタッター Richard Hofstadter(1916-1970)による「アメリカ政治のパラノイド・スタイル The Paranoid Style in American Politics」という60年代半ばの論文です。この論文によれば「陰謀論は陰謀を「われわれ」の偉大な文化的伝統や生活様式、さらに民族そのものを破壊しようとする邪悪な策略として糾弾する。「われわれ」を「われわれ」たらしめる基本的価値観そのものを攻撃し、「われわれ」=アメリカという共同体のアイデンティティの根幹を陰謀は揺さぶるがゆえに、徹底的にその全容を明らかにし、打破しなければならないというのが、陰謀論の主張であるといわれる。陰謀論が想定する敵とは、具体的には社会主義や共産主義、国際主義やコスモポリタニズム、それらを支える政治家、活動家、知識人など、アメリカの資本主義を攻撃し、伝統的なアメリカの美徳を破壊しようとする組織や人間、さらに思想である。そして陰謀論の主体が自らに与える使命とは、こうした敵を打ち破ることで、失われつつある徹底した個人主義と資本主義的自由競争を回復することにあるとホフスタッターはいう」(18-19頁)。

★取り上げられる映画は、オリヴァー・ストーン「JFK」(1991年)、アラン・J・パクラ「パララックス・ビュー」(1974年)、フランク・キャプラ「スミス都へ行く」(1939年)、クリストファー・ノーラン「ダークナイト」(2008年)、同「インセプション」(2010年)など多数。本書が映画論に留まらず、担当編集者のMさんが言う通り「きわめて現在的な政治哲学批評」にもなっているのは、例えば次のような文章の中に見て取ることができるように思います。少し長くなりますが、省略せずに引用します。「陰謀論を執拗に攻撃する論者たちも、逆に積極的に評価する論者たちも、自分たちこそが覚醒していると信じているという点において、それほど大きな違いはない。両者に共通する恐怖の対象、それは覚醒した状態ではなく、目覚める瞬間、覚醒という事件である。自分たちはすでに覚醒していると疑わない反陰謀論者たちにとって、他の「覚醒せよ」と扇動する言説はすべていかがわしいということになる。自分たちが得体の知れない外部の力から完全に自由ではないにもかかわらず、「自由意思」に従って行動していると信じている間抜けな存在であると認めることが、反陰謀論者にとって耐え難い屈辱であることは言うまでもない。一方、陰謀論肯定論者たちはといえば、陰謀論を信じる言説のなか、逆説的に〈覚醒〉という主題を抑圧することで、覚醒した者たちとしての自分たちの立ち位置と自律性を確保しようとする。しかし、陰謀論をことさら批判する言説も、そして逆に肯定する言説においても、その政治的有効性は限られている。なぜなら権力が本当に恐れているもの、それは「覚醒状態」にいる人民ではないからだ。それどころか、「覚醒状態」こそ、権力にとって必要不可欠なフィクションである。人民に自分たちは覚醒をしていると思い込ませることはイデオロギーの重要な機能の一つであり、「覚醒状態」を作り出すことによって、権力はその支配を維持し強化することができる。権力は覚醒している人民を好むのであって、いまだに覚醒していない人民や、「覚醒状態」に安住することができない人民ほど、権力にとって厄介な存在はないだろう」(186-187頁)。ここで言う覚醒が「隠された真実を知った」と思いこむ状態のことを指しているとすれば、私たちは自身に「隠された真実とは本当に存在するのだろうか」と問い続けなければなりません。「覚醒状態が権力の支配にとってもっとも有効なイリュージョンであるとすれば、繰り返し覚醒し続けることによってしか、覚醒の罠から逃れる方法はない。もちろん越境の運動に最終的な到達点は存在せず、フレームの外部にあるのも絶対的に解放された空間ではなく、新たなフレームに取り囲まれた別の空間である」(187-188頁)と吉本さんは論じ、「境界を越えることの快楽と不可能性によって根源的に特徴づけられているのがほかでもない、メディアとしての映画なのだ。〔…〕陰謀を可能にするテクノロジーでありながら、陰謀のメカニズムを可視化することのできるテクノロジーでもある映画」(188頁)と書いておられます。こうした論点はこんにちの社会の色々な場面に応用可能な、重要な鍵であると感じました。

★ホフスタッター以後の「陰謀論」の変遷を考えると、来月刊行になる次の新刊に興味をそそられる方もいらっしゃるかもしれません。辻隆太朗『世界の陰謀論を読み解く――ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ』(講談社現代新書、2012年2月)。版元案内文によれば、本書の内容は以下の通りです。「フランス革命はフリーメーソンの仕業? ユダヤ人の世界支配計画書『プロトコル』? 関東大震災も東日本大震災も人工地震?……「邪悪な誰かが世界を操っている」というロジックに潜む心性を読む」。著者の辻さんは昨年刊行された『情報時代のオウム真理教』(井上順孝責任編集、宗教情報リサーチセンター編、春秋社、2011年7月)に「オウム真理教と陰謀論」という論文を寄稿されています。


魚は痛みを感じるか?
ヴィクトリア・ブレイスウェイト著 高橋洋訳
紀伊國屋書店 2012年2月 本体2,000円 46判上製262頁 ISBN978-4-314-01093-1
版元プレスリリースより:痛みとは何か? 魚がそれを感じるとはどういうことか? そしてわれわれは、魚とどのようにつきあえばよいのか? 魚類学者である著者は、痛みの認知構造などを明らかにしたうえで、魚の「意識」というやっかいな領域にも足を踏み入れ、数々の調査と自らの実験結果などから「魚は痛みを感じている」と結論します。本書の後半では、その結論を受けて、動物福祉の観点から、釣りや漁業、鑑賞魚などにおける人間の魚への対し方が考察されます。本書は、決して「魚を保護しなければならない」、「魚を食べてはいけない」、「スポーツフィッシングなどやめるべきだ」と声高に主張する本ではありません。科学的根拠に基づいたニュートラルな視点から、すっきりと論理立て、わかりやすく解説する著者の主張は、「魚の福祉」という難題を読者に提示します。

目次:
第1章 問題提起
 パンドラの箱を開ける/動物実験/コウモリであるとはどのようなことか/魚に特異な感覚/魚の脳と生理過程/魚の受難/釣り、漁業、養殖の問題/五つの自由/「魚の福祉」は可能か?

第2章 痛みとは何か? なぜ痛むのか?
 痛みの起源/痛みをどうとらえるか?/選択実験/ヒトはいかに痛みを感じるか?/侵害受容/損傷への対応/痛みと意識

第3章 ハチの針と酢――魚が痛みを知覚する証拠
 魚の痛みの調査研究計画/魚の神経/神経と侵害受容体をさぐる/実験と結果/大きな反響/マスは痛みを感じている?/各国での研究成果

第4章 いったい魚は苦しむのか?
 「意識」という問題/意識の三つのカテゴリー/魚の空間認知能力――アクセス意識の調査実験/驚異のメンタルマッピング――フリルフィンゴビーの例/どっちが強い?――シクリッドの例/現象意識の探究:感覚力/魚の脳/客観的な情動、主観的な情動/魚の自己意識とは何か?/ウツボとハタの連携/魚は痛みを感じている

第5章 どこに線を引けるのか?
 哺乳類の感覚/生物の階層という考え方/無脊椎動物は痛みを感じるか?/ヤドカリによる実験/甲殻類の情動?/タコ、イカの情動?/不明瞭な線引き

第6章 なぜこれまで魚の痛みは問われなかったのか?
 魚類の誕生/「緑の革命」から「青の革命」へ/釣りの倫理的な問題/動物の権利/ピーター・シンガー『動物の解放』の功績/動物保護運動

第7章 未来を見据えて
 魚の養殖/魚の実験の難しさ/ガイドライン制定の困難/釣り針にかかった魚/キャッチアンドリリースの倫理/釣りにおける魚の福祉の実践/観賞魚に対する倫理/海洋での漁法の倫理/屠殺方法の再検討/よりよき未来への分岐点

訳者あとがき
参考文献/索引

★2月1日(水)取次搬入の新刊です。書店店頭には2日以降に順次並び始めると思われます。著者のヴィクトリア・ブレイスウェイトさんはアメリカのペンシルバニア州立大学教授で、生物学・魚類学を専攻されています。「オックスフォード大学博士号(動物行動学)を取得後、魚類の認知や行動の調査研究を行なう。2003年に鱒の痛みの知覚についての共同研究がイギリスで大きな話題を呼び、テレビ・新聞などの取材が殺到する。2006年、彼女の魚類生物学への貢献に対して、イギリス諸島漁業学会から賞を授与されている」とのことです。

★「本書の木的な、魚の痛みに関する議論の裏づけになる科学的な成果を、一般読者の目の届くところに示すことだ。事実と論拠を誰の目にも明らかにすること、それが本書の目的であり、それ以外の私的な意図はない」(17頁)と著者は書いています。「魚が痛みを感じるかどうかについて問うことは、既存の考え方への挑戦であり、パンドラの箱を開けるにも等しい。この問いを発するやいなや、広大な未知の領域が出現するのだ。倫理的な観点からみた場合、どの動物を保護すべきだろうか? 魚には意識があるのか? どこに線を引くべきなのか? 魚は鳥類やほ乳類と同列に扱われるべきか? それともロブスターやイカやミミズと一緒に分類されるべきか?」(19-20頁)。「魚は苦痛を経験すると認めることで、魚に対する私たちの考え方は変わり、またさまざまな面で私たちの行動のあり方もやがてはかわっていくだろう。だが、どのように行動すべきかとなると、現在のところ多くが明確になっていない。そのような未知の領域を探求する際には、知識、教育、オープンな心構えが最良の案内役になることは確かであろう」(243頁)。

★担当編集者のIさんから『魚は痛みを感じるか?』のオススメ関連書を教えていただきました。
『動物たちの心の世界 新装版』マリアン・ドーキンス著、長野敬訳、青土社、2005年。
『コウモリであるとはどのようなことか』トマス・ネーゲル著、永井均訳、勁草書房、1989年。
『ダンゴムシに心はあるのか――新しい心の科学』森山徹著、PHPサイエンス・ワールド新書、2011年4月。
『イカの心を探る――知の世界に生きる海の霊長類』池田譲著、NHKブックス、2011年6月。
『動物感覚――アニマル・マインドを読み解く』T・グランディン+C・ジョンソン著、中尾ゆかり訳、NHK出版、2006年。
『動物の解放 改訂版』ピーター・シンガー著、戸田清訳、人文書院、2011年5月。
『動物からの倫理学入門』伊勢田哲治著、名古屋大学出版会、2008年。
『銀むつクライシス――「金を生む魚」の乱獲と壊れゆく海』G・ブルース・ネクト著、杉浦茂樹訳、早川書房、2008年。
『魚のいない海』Ph・キュリー+Y・ミズレー著、勝川俊雄監訳、NTT出版、2009年。
『飽食の海――世界からsushiが消える日』チャールズ・クローバー著、脇山真木訳、岩波書店、2006年。

以下は私の個人的な文献参照メモです。 

『動物の命は人間より軽いのか――世界最先端の動物保護思想』マーク・ベコフ著、藤原英司+辺見栄訳、中央公論新社、2005年。
『沈黙の海――最後の食用魚を求めて』 イサベラ・ロヴィーン著、佐藤吉宗訳、新評論、2009年。
『海辺 生命のふるさと』レイチェル・カーソン著、上遠恵子訳、平河出版社、1987年。
『われらをめぐる海』レイチェル・カースン著、日下実男訳、ハヤカワ文庫、1977年。
『成長の限界――ローマ・クラブ「人類の危機」レポート』ドネラ・H・メドウズほか著、大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社、1979年。
『限界を超えて――生きるための選択』ドネラ・H・メドウズほか著、松橋隆治訳、村井昌子訳、ダイヤモンド社、1992年。
『エントロピーの法則――地球の環境破壊を救う英知 改訂新版』ジェレミー・リフキン著、竹内均訳、祥伝社、1990年。
『誰が世界を変えるのか――ソーシャルイノベーションはここから始まる』ウェストリー+ツィンマーマン+パットン著、東出顕子訳、英治出版、2008年。
『地球の論点――現実的な環境主義者のマニフェスト』スチュアート・ブランド著、仙名紀訳、英治出版、2011年6月。
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by urag | 2012-01-29 22:12 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(2)
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Commented by 心理分析 at 2012-02-24 21:28 x
陰謀論のレッテルを貼って、タブーを広めないようにするのが
陰謀論否定派の仕事だよ。「と学会」などが当て嵌まる。

陰謀論だろうが何だろうが、ちゃんと自分で読んで判断する事だ。
それが出来ない人間こそ、思考停止と呼ぶべきだろう。
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201202/article_60.html
Commented by urag at 2012-02-24 22:36
心理分析さんこんにちは。おおむね同感ですが、ちゃんと自分で読んで判断しても、思考停止を免れるわけではないと思いますよ。URLは書かない方がより説得的でしたね。


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