2011年 09月 11日

注目新刊:9月上旬の人文書3点

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私自身であろうとする衝動――関東大震災から大戦前夜における芸術運動とコミュニティ
倉数茂(くらかず・しげる:1969-)著
以文社 2011年9月 本体2,800円 A5判上製296頁 ISBN978-4-7531-0292-1

帯文より:小説『黒揚羽の夏』(ポプラ文庫ピュアフル、2011年7月)で鮮烈デビューを果たした俊英による明日を切り拓くための歴史的パースペクティヴ! 生と労働、そして生と芸術――関東大震災から大戦前夜にかけ、これらを総合すべく華開いた幾多の“夢”。彼らの思い描いた夢想は儚く歴史のなかへと埋没してしまうのか? 宮沢賢治、柳宗悦、江戸川乱歩、今和次郎、有島武郎、横光利一、保田與重郎らの思考と実践の核心を抉り、大転換期を迎えた現代にその姿を鮮やかに蘇らせる。

目次:
プロローグ 美的アナキズムとはなにか
第1章 ポスト白樺派の世代――分離派建築会、今和次郎、萩原恭次郎
第2章 閉ざされた部屋――宇野浩二、江戸川乱歩、川端康成、谷崎潤一郎
第3章 テクネーの無限運動――柳宗悦
第4章 セルロイドの中の革命――横光利一
第5章 意識の形而上学――宮沢賢治
第6章 〈血統〉の生成――保田與重郎
エピローグ 美的アナキズムの行方
あとがき

★書名にもなっている「私自身であろうとする衝動」は有島武郎の『惜みなく愛は奪う』から採られた言葉です。著者の倉数茂さんは近畿大学大学院で故・後藤明生、柄谷行人、渡部直己の各氏に学び、さらに東京大学で小森陽一、山田広昭、エリス俊子、田尻芳樹、米谷匡史、の各氏の指導のもと、本書の原形となる博士論文を提出。2005年から5年間、中国の広東省および福建省で日本文学を教えたとのことです。帯文にもある通り、先月に小説『黒揚羽の夏』を上梓。ダークファンタジーの書き手としてデビューされたばかりです。続く第二作となる本書は評論であり、担当編集者のMさんによるご紹介によれば「大正後期から昭和初期にかけて華開く、数々のコミュニティ運動に夢をはせた芸術家たちを主に取り上げ、彼らの思想と実践の核心に迫ろうとした」力作です。倉数さんはこう書いています、「美しいものは、他者と分かち合うことが可能であり、かつ分かち合われなければならないという要請を内在させており、他者への原初的信頼と結びついているのだ。/本書で取り上げてきたのも、美的なものを通してより自由で解放的な社会が可能になると信じた芸術家たちである。彼らは、自由に自己を表現〔産出〕する個人が、同時にお互いを産出しあうというヴィジョンを抱き、そのとき芸術は労働や政治とひとつになると考えた」(277‐278頁)。「人間が美的な領域なしで生きることなど不可能である以上、何らかの形での文化的創造を通して、生の感覚を回復しようとする運動が続いていくことはまちないない。それはより豊かで自律した主体のあり方を求める試行であり、やはり「私自身であろうとする衝動」の現れなのだ。自らの欲望や実存のあり方から新たな自己を形成していくことが、おそらくいつにもまして求められているのである。〔…〕偶有的な「不幸」にさらされる私たちは、文化的・政治的実践を通して、自分たちの人間関係を、美的経験を、「幸福」を創り出していかなければならない。なぜなら、額に汗して自分の手で創りあげたものだけが必然的であり、人間の本来的な能動性を回復してくれるからである」(287頁)。なお、本書の装丁は岡崎乾二郎さんによるものです。


未来の考古学 第一部 ユートピアという名の欲望
フレドリック・ジェイムソン著 秦邦生訳
作品社 2011年9月 本体3,800円 46判上製254頁 ISBN978-4-86182-331-2

帯文より:閉塞するポストモダンを打開するユートピア的想像力の再検証! トマス・モアから現代のSF小説に至る古今のユートピア、ディストピア論を精緻に比較・検証しつつ、シニカル理性を排して、ユートピア的想像力の現代的役割を提起する。

本文より:ユートピアという様式はそれ自体、徹底的な差異や他者性、社会的全体性のシステムとしての特性について表象を介して考察するものだ。それゆえに、彗星が閃光をきらめかせながら流れるように、まずユートピア的なヴィジョンをもとばしらせることなしに、私たちの社会的存在が根本的に変化すると想像することは不可能なのである。(9頁)

原書:Archaeologies of the Future: Desire Called Utopia and Other Science Fictions, Verso, 2005.

目次:
序――今日のユートピア
第一章 さまざまなユートピア性
第二章 ユートピア的エンクレーヴ
第三章 モルス――ジャンルの窓
第四章 ユートピア的科学対ユートピア的イデオロギー
第五章 大分裂
第六章 いかにして願望を充足するか
第七章 時間の壁
第八章 不可知性テーゼ
第九章 異星人の身体
第十章 ユートピアとその二律背反
第十一章 総合、アイロニー、中性化、そして真実の契機
第十二章 恐怖への旅
第十三章 攪乱としての未来
訳者あとがき
原注
訳注
人名解説
索引

★原書を二分冊にして刊行。まずは第一部の訳書が出版されました。第二部は12篇の作家論・作品論で、追って刊行される予定です。「訳者あとがき」によれば本書第一部は「三十年以上にわたる彼〔ジェイムソン〕自身のユートピア/SFに関する研究の積みかさねを2005年時点における新たな問題意識から再考し、つきつめたもの」とのことです。第一部の末尾には『ラ・ジュテ』の非常に象徴的な一節が引かれています。訳者は次のように「あとがき」に書いています、「「ユートピアの不可能性」は逆説的なことに、悲観論におちいることも、非政治的な静寂主義を勧めることもない。むしろそれは、さらなるユートピア的〈新機軸〉の創造に向けて、そして未来の喪失に徹底的に反対して、想像力を駆り立て続けるものだと判明する」(403頁)。「現在、三月の大震災以降、未来への不透明感が確実に増しているが、そのいっぽうで、共同体を再建するための努力とともに、ユートピア的衝動の再活性化のきざしが徐々に見えはじめているようにも思える。これは希望的観測だろうか。この邦訳が、来たるべきユートピア的想像力の復活、そして、未来の再獲得に少しでも寄与するところがあれば、望外の喜びである」(405頁)。

★Fredric R. Jameson (1934-)単独著既訳書一覧

1980年10月『弁証法的批評の冒険――マルクス主義と形式』フレドリック・ジェイムスン著、荒川幾男・今村仁司・飯田年穂訳、晶文社。
1988年11月『言語の牢獄――構造主義とロシア・フォルマリズム』フレドリック・ジェイムソン著、川口喬一訳、法政大学出版局。
1989年08月『政治的無意識――社会的象徴行為としての物語』フレドリック・ジェイムソン著、大橋洋一・木村茂雄・太田耕人訳、平凡社;2010年04月、平凡社ライブラリー。
1993年05月『のちに生まれる者へ――ポストモダニズム批判への途 1971-1986』フレドリック・ジェイムソン著、鈴木聡・篠崎実・後藤和彦訳、紀伊國屋書店
1998年11月『時間の種子――ポストモダンと冷戦以後のユートピア』フレドリック・ジェイムソン著、松浦俊輔・小野木明恵訳、青土社。
1999年10月『サルトル――回帰する唯物論』フレドリック・ジェイムソン著、三宅芳夫・太田晋・谷岡健彦・ 松本徹臣・水溜真由美・近藤弘幸訳 、論創社。
2000年10月『文学=イメージの変容』フレデリック・ジェイムソン著、後藤昭次訳、世織書房。
2005年11月『近代という不思議――現在の存在論についての試論』フレドリック・ジェイムソン著、久我和巳・斉藤悦子・滝沢正彦訳、こぶし書房。
2006年09月『カルチュラル・ターン』フレドリック・ジェイムスン著、合庭惇・河野真太郎・秦邦生訳、作品社。
2011年5月『ヘーゲル変奏――『精神の現象学』をめぐる11章』フレドリック・ジェイムソン著、長原豊訳、青土社。
2011年9月『未来の考古学(I)ユートピアという名の欲望』フレドリック・ジェイムソン著、秦邦生訳、作品社。

※著者名の表記は、フレドリック/フレデリック、ジェイムソン/ジェイムスンと揺れがあるので、ご参考までに一冊ずつ記しました。


宗教概念の彼方へ 
磯前順一・山本達也編 
法蔵館 2011年9月 本体5,000円 A5判並製445頁 ISBN978-4-8318-8174-8

帯文より:天災、戦争、テロリズム、レイシズム、ポストコロニアル……。古き常識を破り、露になった新しい現実のなかで、宗教はどのように語り直されていくべきか。ジャック・デリダ、ジュディス・バトラー、ホミ・バーバなどによる現代の必読書。
 
目次:
序論 宗教研究の突破口――ポストモダニズム・ポストコロニアル批評・ポスト世俗主義(磯前順一/山本達也)
第一部 「宗教」という概念を超えて考える
 「宗教」カテゴリーをめぐる近年の議論――その批判的俯瞰(ラッセル・マッカチオン;磯前順一/リチャード・カリチマン訳)
 宗教的起源への志向性(増澤知子)
 信仰と知――理性のみの境界における「宗教」の二源泉(ジャック・デリダ;苅田真司/磯前順一訳)
第二部 「自己」のテクノロジーとしての宗教
 主体交渉術としての宗教論――縄文社会の宗教研究によせて(磯前順一)
 儀礼と身体(キャサリン・ベル;山本達也訳)
 宗教体験と日常性(ホミ・バーバ;磯前順一/ダニエル・ガリモア/山本達也訳)
第三部 「宗教」から見た植民地と暴力
 植民地主義と宗教(デイヴィッド・チデスター;高橋原訳)
 暴力と宗教――ベンヤミンの「暴力論批判」における批評、脅迫そして神聖なる生(ジュディス・バトラー;山本達也訳)
 歴史的暴力の記憶(金成禮;山本達也訳)
第四部 「ポスト世俗主義」を生きるために
 ナショナリズムと宗教(マーク・ユルゲンスマイヤー;高橋原訳)
 公共宗教を論じなおす(ホセ・カサノヴァ;藤本龍児訳)
 世俗主義を超えて(タラル・アサド;苅田真司訳)
結論 異議申し立てとしての宗教研究(ゴウリ・ヴィシュワナータン;聞き手・磯前順一;磯前順一/山本達也訳)
編訳者あとがき
訳者紹介
欧文目次

★まもなく発売予定と聞いています。デリダの「信仰と知」にはフランス語原文からの既訳「信仰と知――単なる理性の限界内における「宗教」の二源泉」(松葉祥一・榊原達也訳、『批評空間』第II期第12~15号)がありますが、今回の翻訳は、サミュエル・ウェーバーによる英訳版の前半部を訳出したものです。共訳者の苅田真司さんの「苅」の字は実際は草かんむりに「列」です。「信仰と知」は単行本としては未來社「ポイエーシス叢書」の続刊予定に湯浅博雄訳で予告されていたことがありました。ポイエーシス叢書自体は2009年11月に第59弾であるアクセル・ホネット『自由であることの苦しみ』が出てから続刊がまだ刊行されていないようです。
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by urag | 2011-09-11 23:16 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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