2011年 03月 07日
健康な悟性と病的な悟性 フランツ・ローゼンツヴァイク(Franz Rosenzweig, 1886-1929)著 村岡晋一(むらおか・しんいち:1952-)訳 作品社 2011年2月 本体2,000円 46判上製178頁 ISBN978-4-86182-315-2 原書:Das Büchlein vom gesunden und kranken Menshcenverstand, 1964(1921/1992). 帯文より:生は死に向かってみずからを生きる。ギリシャ以降の抽象に淫した西欧哲学を「病的な悟性」と見立て、世界・人間・神を機軸とする「健康な悟性=常識」と「対話」による哲学の回復を目指す『救済の星』の闡明。 本文より(117頁):人間だけが存在するのでもなければ、世界だけが存在するのでもない。両者いずれもけっして「存在する」のではない。両者の一方が「存在する」なら、それだけしか存在しないことになる。流れは流れることをやめてしまう。両者のあいだの〈と〉、昼と夜、覚醒と睡眠のあいだの〈と〉によってはじめて、人間と世界のいずれもが一つの〈なにか〉になるのである。 訳者解題より(177-178頁):健康な悟性への帰還がわれわれの「生」に教えることはなにか。それはきわめて平凡だが、〈生きることができるということ〉は〈死ななければならないということ〉だということを学ぶことである。……人間はもはや死に向かって生きる以外の生き方をしようとすることは許されない。というのも「神」と「世界」と「人間」がそれぞれ自分の外部をもつことによってはじめて〈なにか〉でありえたように、人間の生もその外部である死をもつことによってのみ〈なにか〉でありうるからである。 目次: 識者に向けて 読者に向けて 第1章 発作 第2章 往診 第3章 診断 第4章 治療法 第5章 同僚間の往復書簡 第6章 治療――第一週 第7章 治療――第二週 第8章 治療――第三週 第9章 後療法 第10章 職場への復帰 読者に向けて 識者に向けて 編者による注 編者序文 訳者解題 ★ローゼンツヴァイクの主著『救済の星』を著者自身が解説した本です。『救済の星』を出版した1921年に執筆されましたが、公刊されたのは死後30年以上経った1964年でした。同様の自著解説には『新しい思考――『救済の星』に対するいくつかの補足的な覚書』(1925年;合田正人+佐藤貴史訳、『思想』2008年10月号/1014号〔特集「レオ・シュトラウスの思想〕所収、175-203頁)があります。長大な『救済の星』とは異なり、一般読者向けに書かれています。原題は『健康な悟性と病的な悟性にかんする小著』で、「健康な悟性」というのは「常識」を指しています。「常識から出発するなんて学問ではない」と学者に非難されるのを承知で、彼はそうした「学問」を拒否して、人間と世界と神について語り直そうとします。その態度は反観念論とでも言うべきものです。目次を見ていただくとそのユニークさがご想像いただけると思いますが、ローゼンツヴァイクはドイツ観念論の呪縛とその病的側面から「思考」そのものを新しく生まれ変わらせるべく腐心したわけです。彼は43歳で死にました。死によってこそ生の輝きがあることを彼は知っていました。「われわれはなにを学んだのか。われわれはもはや迷わされない、もはや手を休めない、もはや立ち止まらない、もはや離れたとことに立たないということだけである。われわれはこのことを見失わないようにすべきである」(121頁)。なお、ローゼンツヴァイクについてより突っ込んで勉強されたい方は、本格的な研究書が昨年刊行されていますので、ぜひお手にとって見てください。佐藤貴史『フランツ・ローゼンツヴァイク――〈新しい思考〉の誕生』(知泉書館、2010年2月)。 ★『救済の星』の書誌情報も参考までに以下に掲出しておきます。 救済の星 フランツ・ローゼンツヴァイク著 村岡晋一(むらおか・しんいち:1952-)+細見和之(ほそみ・かずゆき:1962-)+小須田健(こすだ・けん:1964-) みすず書房 2009年4月 本体9,500円 A5判上製695+15頁 ISBN 978-4-622-07459-5 帯文より:「〈すべて〉についての認識はすべて死から、死の恐怖から始まる」。第一次大戦後、西欧近代への絶望とその根底的批判から「常識の思考」へと立ち戻り、対話的実存のあり方を考察した世紀の書。 本文より(265-266頁):〈私〉は、〈君〉をみずからの外部にあるなにかとして承認することによってはじめて、つまりモノローグからほんとうの対話(ダイアローグ)へと移行することによってはじめて〔…〕〈私〉となるのである。〔…〕本来的な〔…〕〈私〉は、〈君〉の発見においてはじめて声として聞きとれるようになるのである。 訳者あとがきより(677頁):第一次世界大戦が勃発し、〔…〕彼〔ローゼンツヴァイク〕はみずから志願して対空砲火部隊に参加し、バルカン戦線に送られる。〔…〕敗戦の気配が濃厚なバルカン戦線の塹壕のなかで、1918年8月22日、彼は突然、のちに『救済の星』として結実するまったく新しい哲学の霊感を得た。〔…〕彼は、戦線が壊滅状態になり、軍隊が撤退している最中に、あたかも恍惚状態になったかのように、みずからの着想を軍隊の郵便葉書や便箋になぐり書きして、母親と友人にそのつど郵送した。そして1918年12月に軍務を解かれるや、カッセルとベルリンで著書の執筆を続けた。 目次: 第1巻 要素、あるいは永続的な前世界 序論〈すべて〉を認識する可能性について 第1章 神とその存在、あるいはメタ自然学 第2章 世界とその意味、あるいはメタ論理学 第3章 人間とその〈自己〉、あるいはメタ倫理学 移行 第2巻 軌道、あるいはつねに更新される世界 序論 奇跡を体験する可能性について 第1章 創造、あるいは事物の永続的な根拠 第2章 啓示、あるいはつねに更新される魂の誕生 第3章 救済、あるいは御国の永遠の未来 敷居 第3巻 形態、あるいは永遠の超世界 序論 御国を祈りによって手に入れる可能性について 第1章 火、あるいは永遠の生 第2章 光線、あるいは永遠の道 第3章 星、あるいは永遠の真理 門 訳者あとがき 事項索引 人名索引 +++ ★『健康な悟性と病的な悟性』の担当編集者である高木有さんは、昨年発売されたハイデガーの『現象学の根本問題』や、アドルノの『ベートーヴェン 音楽の哲学〔改訂版〕』も担当されています。長谷川宏さんによる一連の新訳ヘーゲルも高木さんの手になるもので、近年の「古典新訳ブーム」の先駆けをつくった方です。 ★ご参考までに、昨年刊行された新刊のうち、ドイツ系(正確に言えばドイツ語圏)のもので印象深かったものを以下に列記しておきます。 現象学の根本問題 ハイデガー/木田元監訳・解説 作品社 8月 ハイデッガー全集(58)現象学の根本問題 創文社 1月 ※第24巻「現象学の根本諸問題」01年2月 ハイデッガー全集(49)ドイツ観念論の形而上学 創文社 10月 渡邊二郎著作集(1)ハイデッガー(1) 筑摩書房 10月 ※第2巻「ハイデッガー(2)」11年1月刊 イデーン(3)現象学と、諸学問の基礎 エトムント・フッサール/渡辺二郎ほか訳 みすず書房 11月 純粋理性批判(1)カント/中山元訳 光文社古典新訳文庫 1月 ※第2巻5月、第3巻9月、第4巻11年1月 ゲーテ地質学論集〔鉱物篇/気象篇〕 木村直司編訳 ちくま学芸文庫 2010年6月/7月 シュライエルマッハーのクリスマス フリードリッヒ・シュライエルマッハー/松井睦訳 YOBEL新書 10月 G・W・F・ヘーゲル論理学講義――ベルリン大学1831年 カール・ヘーゲル筆記/ウド・ラーマイル編/牧野広義+上田浩+伊藤信也訳 文理閣 11月 経済学・哲学草稿 マルクス/長谷川宏訳 光文社古典新訳文庫 6月 新訳 共産党宣言 初版ブルクハルト版(1848年) カール・マルクス/的場昭弘訳 作品社 7月 ツァラトゥストラ(上) ニーチェ/丘沢静也訳 光文社古典新訳文庫 11月 ※下巻11年1月 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 マックス・ウェーバー/中山元訳 日経BP社 1月 聖なるもの オットー/久松英二訳 岩波文庫 2月 意識の本質について ルートヴィッヒ・クラーゲス/平澤伸一+吉増克實訳 うぶすな書院 3月 認識問題――近代の哲学と科学における(1) エルンスト・カッシーラー/須田朗+宮武昭+村岡晋一訳 みすず書房 5月 透明な沈黙――哲学者ウィトゲンシュタインの言葉×新世界『透明標本』 鬼界彰夫訳/冨田伊織作 青志社 8月 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』対訳・注解書 木村洋平訳著 社会評論社 10月 ベンヤミン・コレクション(5)思考のスペクトル ヴァルター・ベンヤミン/浅井健二郎編訳 ちくま学芸文庫 12月 ハンス・ヨナス「回想記」 盛永審一郎ほか訳 東信堂 10月 ベートーヴェン 音楽の哲学〔改訂版〕 テオドール・W・アドルノ/大久保健治訳 作品社 9月 迷宮としての世界――マニエリスム美術(上) グスタフ・ルネ・ホッケ/種村季弘+矢川澄子訳 12月 ※下巻1月 インゲボルク・バッハマン全詩集 中村朝子訳 青土社 12月 吐き気――ある強烈な感覚の理論と歴史 ヴィンフリート・メニングハウス/竹峰義和ほか訳 法政大学出版局 8月 芸術の至高性――アドルノとデリダによる美的経験 クリストフ・メンケ/柿木伸之ほか訳 御茶の水書房 4月 パウロの政治神学 ヤーコプ・タウベス/高橋哲哉+清水一浩訳 岩波書店 8月 レオ・シュトラウスと神学-政治問題 ハインリッヒ・マイアー/石崎嘉彦ほか訳 晃洋書房 10月 ああ、ヨーロッパ ユルゲン・ハーバーマス/三島憲一ほか訳 岩波書店 12月 ダーウィンの珊瑚――進化論のダイアグラムと博物学 ホルスト・ブレーデカンプ/濱中春訳 法政大学出版局 12月 モナドの窓――ライプニッツの「自然と人工の劇場」 ホルスト・ブレーデカンプ/原研二訳 産業図書 6月 フロイト全集(16)1916-19年 岩波書店 2月 フロイト全集(13)1913-14年 岩波書店 3月 フロイト全集(19)1925-28年 岩波書店 6月 フロイト全集(14)1914-15年 岩波書店 9月 シュレーバー症例論 フロイト/金関猛訳 中公クラシックス 9月 人生の意味の心理学(上下) アルフレッド・アドラー/岸見一郎訳 アルテ 5月/7月 赤の書 ユング 創元社 7月 パトゾフィー ヴィクトーア・フォン・ヴァイツゼカー/木村敏訳 みすず書房 1月 ★いずれも特筆に値する本ばかりですが、しいて個人的にいくつかのトピックに絞って言及するならば、以下のようになります。 もっとも豪華な本・・・ユング『赤の書』 もっとも美しい本・・・ウィトゲンシュタイン『透明な沈黙』 もっとも親しみやすかった新訳・・・丘沢静也訳ニーチェ もっとも続刊を期待する新訳・・・長谷川宏訳マルクス もっとも刊行を待望した本・・・タウベス『パウロの政治神学』 もっとも内容に惹きつけられた本・・・ヨナス『回想記』 ★もっとも売れた本、というのは『超訳ニーチェの言葉』で間違いありませんが、上記では言及していませんでした。専門書売場ではなく、一般書売場で活躍した本だけに、たてわけて特筆する必要があります。一般書売場で昨年目に留まった本には以下のものがありました。 超訳ニーチェの言葉 フリードリヒ・ニーチェ/白取春彦編訳 ディスカヴァー・トゥエンティワン 1月 アンチクリスト(まんがで読破) ニーチェ原作 イースト・プレス 11月 精神分析入門・夢判断(まんがで読破) フロイト イースト・プレス 5月 ※ユング『分析心理学・自我と無意識』11年3月 ショーペンハウアー大切な教え――智恵の贈り物 アルトゥル・ショーペンハウアー/友田葉子訳 イースト・プレス 10月 心の病を癒す生活術 カール・ヒルティ/金森誠也訳 PHP研究所 3月 ★最後にどうしても書いておくとすれば、昨年末刊行された『インゲボルク・バッハマン全詩集』について一言。中村朝子さんはこれまでトラークルやツェランの個人全訳という快挙を成し遂げられてきましたが、いままたここにもうひとつ、文学界に大きな貢献を果たされました。バッハマンの作品はこれまで小説が訳されてきましたけれど、まとまったかたちで詩が読めるのは本書が日本初になります。収録作品が分かる目次詳細はこちらでご覧になれます。 インゲボルク・バッハマン全詩集 インゲボルク・バッハマン著 中村朝子訳 青土社 2010年12月 本体3,800円 四六判上製444頁 ISBN978-4-7917-6579-9 帯文より:明かされる全貌、日本初の全詩集。20世紀最大の詩人パウル・ツェランとの波瀾に満ちた悲恋があまりにも有名な、オーストリア生まれの才媛バッハマン。新時代の到来を感性豊かに捉え、不条理の世界と真摯に向きあう――。ツェランとの 「往復書簡」 刊行を契機に、世界的注目を集める詩人の、全詩作を日本初公開。 ★インゲボルク・バッハマン(Ingeborg Bachmann,1926-73)単独著訳書一覧 『三十歳』生野幸吉訳、白水社、1965年 『マリーナ』神品芳夫+神品友子訳、晶文社、1973年 『ジムルターン』大羅志保子訳、鳥影社・ロゴス企画部、2004年 『インゲボルク・バッハマン全詩集』中村朝子訳、青土社、2010年 ★バッハマンの詩の中から、前述のローゼンツヴァイクとはまた違った、死への内在化された視線を感じ取ることのできる一節を引用したいと思います。「壁のうしろで」という、1948年から53年のあいだに書かれたもので、78年に刊行された全詩集に初めて収録された未発表の作品です。43頁からの引用。 わたしは 大きな世界不安の子だ、 それは平和と喜びのなかへぶら下がる 昼の歩みのなかにぶら下がる鐘の音のように そして熟した畑のなかにぶら下がる大鎌のように。 わたしは 絶えず・死ぬことを・考えること だ。 ★青土社さんでは今月、同じく中村さん訳による『バッハマン/ツェラン往復書簡――心の時』を刊行する予定と聞いています。ツェランを愛している私としてはこれは絶対に見逃せません。
by urag
| 2011-03-07 01:50
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