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2010年 10月 17日

読書と革命――佐々木中の語り下ろし『切りとれ、あの祈る手を』が熱い

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『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社、08年11月)に続く佐々木中さんの単独著第2弾となる語り下ろし作『切りとれ、あの祈る手を――〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』が今週22日に発売開始されます(特設サイトはこちら)。取次搬入日は20日(水)とのことですので、早いお店では21日から店頭に並び始めるかもしれません。本書の聴き手であり、担当編集者のAさんから、「人文書・文学書にかかわるすべての人(著者、読者、出版者、書店など)をはげますような内容」だと伺っていました。私と千葉雅也さんの対談を収録している、現在発売中の『文藝』2010年冬号に、発売前の本書の、朝吹真理子さんによる書評が掲載されています。そこにはこう書かれていました。「この本は、書かれたものではなく語られたものであるのだから、真摯に耳を傾けて、聞くように読んでみる。〔中略〕この本はあらゆる文献へと繋がっていて、「読む」ことはますますやめられなくなる。心が熱くなるこの稀有な本」だと。

さらに本書の帯文には、保坂和志さん、いとうせいこうさん、宇多丸さん(RHYMESTER)らの推薦文が載っています。特に保坂さんは佐々木さんを孤高な語り手として賛嘆しています。ここまで好評を得ている本となるとかえって読むほうは身構えてしまうものですが、まずは全体をぱらぱらと拾い読みしていくのがいいかもしれません。私自身は拾い読みしてみて気になる言葉にいくつか出会ってから、最初に戻って読み始めました。「ただ佐々木中だけが彼ら〔現状追認の罠に陥った最近の批評家〕のはるか上空で語」ると保坂さんが評した佐々木さんの独特な語り口は、前作と同様に好き嫌いが分かれるところかもしれません。しかし朝吹さんの言う通り本書はまず傾聴してみるのが一番だと思います。人によっては耳障りな部分もあるでしょうけれど、そういう部分は保留しつつ読み進めていけば、いずれ著者の議論の核心が見えてきます。

本書の議論の核心は端的に言えば、「本を読み、読みかえ、書き、書きかえる」ことの命がけの徹底が導く革命の力、という主張にあります。それについて佐々木さんは繰り返し執拗に語ります。その革命の力は暴力や武力に還元されないものである、とも佐々木さんは示唆しています。本書を貫く信念と執念、そしてその冷徹な情熱は実に印象的です。いまどきの世間ではこういう人物を「古風」というのかもしれません。しかしそれは悪いことではない。宇多丸さんが「圧倒的正論」と評した意味もよく分かります。「すべてを語ること」に取りつかれた現代風の批評家や専門家への痛烈な批判を伴う佐々木さん自身の学問的スタンスを自己紹介することから本書の語りは出発しており、そうした時流と決別した佐々木さんによる批判は、読者としても実感的に首肯しうるのではないかと思えます。宇多丸さんはある時、佐々木さんに「ハードコアなまま間口を広げることは可能であるし、それなくしてはシーン全体に寄与する行動とは呼べない」と語ったそうです(本書211頁「跋」より)。

そしてなによりAさんがなぜ「人文書・文学書にかかわるすべての人(著者、読者、出版者、書店など)をはげます」と紹介して下さったのか、本書を読んでみて初めて「なるほど」と理解できる気がしました。佐々木さんはこう語ります。「本を読み、本を読み返すだけで、革命は可能だ」(74頁)。「書店や図書館という一見平穏な場が、まさに下手に読めてしまったら発狂してしまうようなものどもがみっしりと詰まった、ほとんど火薬庫か弾薬庫のような恐ろしい場所だと感じるような、そうした感性を鍛えなくてはならない」(30頁)。「本の出版流通にかかわる人々すべてに言いたい。あなたがたは天使的な仕事に従事しているのだ。このことを忘れてはいけません。誇りを失ってはならない」(62頁)。また後段ではこう述べています。「天使とは何か。それは〔……〕「読み得ぬ」ということの距離そのものであり、この無限の距離が解消される「読み得る」ことの、極小のチャンスなのです。邂逅のチャンスであり、遭遇のチャンス〔……〕。読み得ぬはずのものを読むこと、「読む」というチャンスを与えること――これこそが天使的な仕事なのです」(102頁)。

私は昨年夏、とある媒体に「世界を編集する――書棚から文化まで」というエッセイを寄稿し、その直後に、とある若い哲学者の知人に改訂稿(未公開)を渡しました。知人は某学府で出版業界論ゼミを主宰していたのです。知人の役に立ったのかどうかはよく分かりませんけれど、そこで私は汎編集論としての天使論と革命論について言及しました。その後も幾度か改訂を繰り返していますが、そこでの論説は、私が今まで本を作ったり売ったりする現場で得てきた体験、そして個人的に今まで読んできた本や数々の業界人との対話から得たヒントなどを有機的にまとめあげる努力をしたものです。佐々木さんの『切りとれ、あの祈る手を』での天使論・革命論と図らずも交差する点がそこにはあり、私ももっと歩みを進めていいのだな、進めるべきだな、と励まされる思いがしました。

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切りとれ、あの祈る手を――〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話
佐々木中(ささき・あたる:1973-)著
河出書房新社 2010年10月 本体2,000円 46判上製214頁 ISBN978-4-309-24529-4

◆帯文より:取りて読め。筆を執れ。そして革命は起こった。思想界を震撼させた大著『夜戦と永遠』から二年。閉塞する思想状況の天窓を開け放つ、俊傑・佐々木中が、情報と暴力に溺れる世界を遙か踏破する。白熱の五夜十時間語り下ろし。文学、藝術、革命を貫いて鳴り響く「戦いの轟き」とは何か。「革命の本体、それは文学なのです。暴力など、二次的な派生物に過ぎない」。

◆著者紹介:佐々木中(ささき・あたる)   
1973年生。哲学・現代思想・理論宗教学専攻。東京大学大学院人文社会研究系基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。現在、立教大学、東京医科歯科大学教養部非常勤講師。著書に『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社、2008年11月)、訳書にピエール・ルジャンドル『ドグマ人類学総説――西洋のドグマ的諸問題』(共訳、平凡社、2003年10月)がある。

◆目次:
第一夜 「文学の勝利」(2010年6月15日)
第二夜 「ルター、文学者ゆえに革命家」(2010年6月28日)
第三夜 「読め、母なる文盲の孤児よ――ムハンマドとハディージャの革命」(2010年7月6日)
第四夜 「われわれには見える――中世解釈者革命を超えて」(2010年7月15日)
第五夜 「そして三八〇万年の永遠」(2010年7月25日)


★書名の「切りとれ、あの祈る手を」は、パウル・ツェランの『光輝強迫』に収められた同名の詩のタイトルから採られています(中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集』第2巻所収、飯吉光夫訳『迫る光』では「祈りの手をたちきれ」)。

★本書の美しい装丁はデザイナーの岡澤理奈さんによるもの。透けて見える帯を取ったカバーのみの書影は特設サイトにあり。岡澤さんはこのサイトのリニューアルのお手伝いもされているそうです。

★本書の第五夜で明かされていることですが、佐々木さんの次回作はドゥルーズ=ガタリ論となるようです。「おそらく私の次の著作はドゥルーズ=ガタリ論になると思う。そこで「文字は機械である」という命題から始めることになるでしょう。そうです。文字こそが人類が発明した驚くべき機械である、夜の機械であり、革命の機械である。この文字には5000年の歴史がある」(191頁)。

★佐々木さんは同じく河出書房新社さんから昨夏(09年7月)に刊行された『村上春樹『1Q84』をどう読むか』に「生への侮蔑、「死の物語」の反復」というテクストを寄せています。
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by urag | 2010-10-17 23:33 | 本のコンシェルジュ | Trackback | Comments(0)
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